先日、祖母が亡くなりました。
2月末に肺炎で入院し(コロナではない)、
ステロイド治療などをした結果、
肺炎は改善したものの、体力が落ち、
もう長くないとの宣告があったのを受けて、
母と母の兄弟で、もう緩和病棟に移す、ということを決めたそうで、
亡くなったのはそれから1週間ほどでした。
緩和病棟に移る前に、一度だけお見舞いに行きました。
コロナもあり、お見舞いは週に3人だけ、というルールがあったので、結局1回きりでしたが、
意識は思ったよりもしっかりあり、
苦しそうながらも反応が返ってきたのが印象的でした。
あれだけしっかり意識はあると、
体が動かなくなっていくのはどのくらい認識できていたのだろう。
緩和病棟に移ると、点滴は施さないのだそうで、
それは理解できていたのだろうか。
もし、全て理解していたのなら、
もう数日で自分が死ぬことも分かったんじゃないか。
苦しんで死ぬのも辛いけど、
じわじわと死ぬことが迫っていて、体だけが動かないで、たったひとりでベッドに横たわっているのは、
どんな気持ちなんだろう、
恐怖?不安?
…自分だったら…と思うと、なんだか胸がザワザワとしました。
お葬式は、近親者だけで執り行われました。
葬儀に出るといつも思うのは、
自分が死ぬ時、参列してくれる人は私にどんな思いを持ってそこにいるのだろう?という気持ち。
たしか、「7つの習慣」で書かれていたことです。
この人達に、どう思われて逝きたいか。
そう思うと、人との接し方を改めて考える自分がいます。
祖母のお葬式で、故人のことではなく自分のことを考えている自分は、
なんて利己的な人間なんだ…とは思いつつ…。
でも死を意識して生きることは、
豊かな人生を送ることに繋がるのは確かに頷けるな、と改めて思いました。
いつもすぐに忘れてしまうんですけどね…。
葬儀は子供を2人連れての参列で慌ただしく、
さらに火葬場はコロナで人数制限をしていたために私達は参加を遠慮しました。
そんなこんなで、葬儀当日は、ゆっくり故人を偲ぶ時間が持てなかった気がしていたので、
こうして文字にすることで、
なんだかやっと、
亡くなった祖母に想いを馳せることができた気がします。